劇団員日記

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Siriには気をつけて

image0.jpeg お久しぶりです~ なんか4回生になってました、コロ助です 半年ぶりのブログですね、はい

就活生ですので、その話をしようかなと思います えっと、最近オンラインでの座談会があったんですけど、そのとき僕を含めて就活生の人が会社員の人に質問してたんですよ。それで僕が「はい、質問よろしいでしょうか?」と質問した時に、なぜか会社員の人よりも、僕のMacBookの Siriが反応してしまって、「すみません、よくわかりません」という返信をいただきました。辛かったです。そして、Siriが喋っていたことが同じ就活生と会社員の人にも聴こえていたそうで、みんな苦笑いしてました。めちゃくちゃ恥ずかしかったです。恥ずかし過ぎてその会社とはさよならすることにしました。 大企業ですが、僕とはご縁がなかったと思っておきます。僕はそんな就活生です。

最後に載せている写真は、最近はまっているYouTuberの世界のヨコサワというチャンネルの人のオリジナルの服です。めちゃめちゃ嬉しいです。では、make sense!!

ちなみに、この前の稽古は通しでした。

延期と学びとGW。

どもっ(。・ω・)ノ゛自分です。

世界的に流行しているヤツのせいで

5月のプロレスの興行が

どんどん中止・延期になって

日々の楽しみが減っているルイです。

デスペとSHO君のIWGPJr.の戦いは

いつ見れるのかなぁ…

…というプロレス談義は置いておいて

今月頭くらいから稽古始まりました。

情勢に即した形での芝居なので、

また別に考えさせられることがありますね。

かれこれもうルイも演劇9年目突入ですか。

早いもんですねぇ…

歴を重ねてもまだまだ学ぶことがあるので

演劇は面白いですね。

まあ、これだけで終わると

面白くないので、もう少し書きますね。

先週はGWで少しは休めると思ったのですが、

窓掃除や床のワックスがけや課題など

主夫としても学生としても

やること多くて全然休めませんでした…

その上緊急事態宣言もあって外に出られず

心身ともに疲れましたね。

でも、親友との電話で少し回復できたから

結果オーライなのかな?

大学生活も後1年半くらいで

友人との別れが来ることを思うと

少し切なくなるルイでした。

稽古開始!!?

こんにちは撫子です!

実は1週間ほど前から稽古が始まっておりました が、やっとブログが更新されましたねお待たせ しました。 なんの稽古かと言いますとVC公演の稽古なんで すね~。今年もコロナの影響を受け昨年と同様 に高槻キャンパス祭がバーチャルキャンパス祭 になってしまいました…。 コロナのばかやろう!なんて思ったりもします が恨んでも仕方が無いのでこんな気持ちはそっ と胸の奥に閉まっておきます。

今回の公演では少なくとも私が万絵巻に入団し てからは初めての挑戦をしています!さて、ど んな公演になるんでしょうか~楽しみにしてて ください!! まだ今回の公演の情報が解禁されていないので どこまで話していいのやら… 余計なことを言ってしまわないうちに終わりに しておきましょう。

ではではまたお会いしましょう!

公演終了のお知らせ

image0.jpeg 本公演にて制作チーフをさせていただいておりました3回生の真弓です。

おかげさまで関西大学劇団万絵巻2021年度新入生歓迎公演『インソムニア』が無事に公演終了いたしました!

公演をご視聴くださったお客様、誠にありがとうございます。

劇団員を代表し、心よりお礼申し上げます。

またみなさまにお会いできるのを楽しみにして劇団員一同精進していきますので、どうぞご来場ください。

おしまい

2021年度新入生歓迎公演のブログは今日で最後となります。公演自体はとっくに終わっているのに、未だにダラダラと続けてしまっている事がどうにも気恥ずかしく、あまり多くのことを書く気にはなれませんね。

 役者への講評でもしようかと思ったのですがよくよく考えればTwitterで似たような事をやったので今更感がありますし、特に需要もなさそうなのでやめておきましょう。

そういう訳で、パンフの都合により四分の一にまで削られた「演出の言葉」をここに載せておきます。人によっては痛いと思うかもしれませんが、なんなら自分自身かなり拗らせている自覚はありますが今回の公演のコンセプトと言いますか、何を思って描かれた物語なのかがやんわり書いてあります。

以下演出の言葉

 コロナ禍の最中、この物語は生まれました。

とはいえ特に疫病がどうの、自粛がどうのといったメッセージは込められていません。そういった小難しいテーマに手を出すには、まだ自分はそう長く生きては居ませんし、どれほど長く生きたところで薄っぺらな事しか言えないでしょう。しかし、一切関係がないかと言われればそういうわけでもなく……

 自分は「好き」という言葉があまり好きではありません。特に誰かが誰かに対して「好きだ」と意思表示することが、昔っから気味が悪くて仕方がありませんでした。いえ、お互いが思い合っているならば別に何か言うつもりもないのですが、「告白」はそうとは限らないですよね。好きでもない人に好きだと言われることも少なからずあります。

 そして、それはとても恐ろしいことだと自分は思うのです。だってそうじゃないですか?

 別に好きじゃない人から「貴方のことが好きです」と言われたところでその人の事を好きになれるかと言えば別にそうではないし、自分に対して厭らしい視線を向けているのだと思えば寧ろ怖気すら走るかもしれません。

 その人の事は別に嫌いではないし、「友達」として今まで仲良くやってきたつもりではあるけどその全てに性的な目的が含まれていたのだと自覚した途端、気持ち悪く感じてしまうのも無理からぬ事では無いでしょうか。

 こんな事を言えば、告白した側の人は厚顔無恥にもこう思うでしょう。「自分の思いくらい形にしたい」と気持ちは分からなくは無いですし、時と場合によってはそれが正しい事もあります。相手に伝わらなくても、自分が勝手にする分には自由だと言うわけですね。

 しかし、好きだという言葉は一方的なもののようでいて決してそうではないのです。「好きだ」という言葉は「あなたに私を好きになってほしい」という要求に他ならない。そして、この要求を撥ねのける言葉何て一つしかありません。

 けれど、その言葉はとても酷い言葉です。だから、誰しも言いたく無い。「好きだ」という言葉は場合によってはそれほど無責任な言葉になり得る。自分にはそれがとても苦しい。

 そんな恥知らずな事を言えるほど傲慢になれる恋とは何と恐ろしいものかと、自分は思っているのです。と同時にその傲慢さに憧憬を覚えずにはいられない。

 とまれ、結局のところ人と触れ合うことは酷く気持ちの良い事だけれども、とても恐ろしい事で、本来なら勇気のいる事だというのを忘れないで欲しいのです。

人と触れ合う。

すごく快いものです。

とてもとても気持ちの悪い事です。

ひどく恐ろしい事です。

けれど、その価値と醜悪さを再確認してほしい。

これはそういう話です。

いやはや気持ちの悪い文章ですなあ。image0.jpeg