後始末をしてから綺麗に去っていく事の意で「立つ鳥跡を濁さず」と言いますね。

私の生き方に法るならこれを誰かに晒すべきでなく、ある種無様に等しい。

けれど、万絵巻人生に終わりを迎えようとしているこの時。

ずっとずっと隠し続けた本音をここにぶつけます。

どうしたって他人事だけど、上回生最後の遺作として軽く流し読みしてくれると幸いです。酔った時に同期に話したかもやけど、そこは許して。

先に名乗っておきます、4回生のずかです。唐突だけど多分これがラストブログかな

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過程から話しましよう。

約4年前、私が万絵巻に入るきっかけとなったのは1つの屈辱からです。大学入学直後、ある挑戦をきっかけに約18年間の人生を丸ごと否定されます。何も1人で考えられない子と烙印を押されまして。

今こそその通りだったと思えるけれど、当時そんな簡単に諦められるはずもなく。情けなく弱音を吐き散らし、泣き叫んでいた事を覚えています。

結局挑戦を諦め、何やかんやを経て万絵巻に入る事になります。

当時外聞、思慮、客観一切を気に留めなかった私は屈辱を味わっても尚短絡的に生き続けます。思い返してもあまりに酷い。ありのまま振舞い続けた記憶があります。

そんな折、18年度夏公演「トワイライトになぞらえる」にて。役者に励む傍ら演出という役職がある事を知ります。やんわりと、けれど確固たる憧れを持ち、演出を志すきっかけになります。

18秋「ひとんちでさよなら」

知る人ぞ知る超短期決戦型公演。22日しか無い稽古期間で外小屋ならではのクオリティに到達しなくてはならない。周りの先輩方は名だたる精鋭の人ばかり、なのに私は迷走し続けるばかりで何も出来ない。この時の後悔が、生き様を疑うきっかけになります。

18卒「蛮幽鬼」

22期生の方々の集大成。シーンに直接的な関わりはありませんでしたが、今思い返しても凄まじく、鳥肌モノの舞台だった事を覚えています。

18新発「レモンキャンディ」

初演出にして原点。入学当初受けた私の全てに対する侮蔑、その意味を心身持って味わった出来事。今も忘れられません、ある同期に「お前は何も考えて無いんだな」と真っ向から言われた瞬間。正しくその通りに過ぎないと涙を飲んだ記憶があります。

演出に限らず管理役職系において、主体性の無さは周りに縋るも同義。当時全力を尽くしても尚、こんなに私は無力だったのかと自責を繰り返しました。

少なくとも私は公演成功だったと思っていますし、後悔していません。思い描く世界観を作り上げるのは心の底から楽しかった。

それと別に、無様を晒した私自身と「考えられない奴」と評価しているであろう周りの人達へ。死んでも見返してやる.と復讐心に似た執着が根付いたのはこの時から,今日までずっとずっと抱き続けてきました。

19新歓「創稿 銀河鉄道の夜」

初音響チーフを任された公演。洗練された舞台ってこういう事を言うのかな、と感じた記憶ごあります。

ちなこの時は音響チーフでした。初の試みとはいえ、仕事さばきが下手な為にハプニングの連続。18秋からここまで苦渋を味わい続けた日々が続きます

19夏「ぼくらの七日間戦争」

ここまで丁寧に読んで貰えた人にはお分かりでしょう、同じような失敗・後悔ばかり繰り返してます。この時もまた考え無しに振舞ってばかりでした。当時の夏チームが居心地良かったからこそ、気持ち良くありのまま気を抜いていられた。真の意味で良き夏だったなと思います。

語弊を正すべく先に伝えます。これは私に対してのみの評価、チームの皆や公演の成否、その他一切とは全く関係ございません。

何も変われなかった。みっともないね。気持ちだけで何もかも上手くままいくのなら苦労しません。少なくとも私の人生ではそんな感じです。

謎のおふぇりあが生まれたのも思い返せばこの時、懐かしいねえ。

19秋「リトル・ウェンズデイ」

言わずと知れた名公演、今も胸に残っている人は多いのではないでしょうか。憧れが強くて、役者やオペでも無いのに後半週2で稽古場に顔出してました。

この時の衝撃がどんな世界観を作りたいか、どうすればより良いものを作れるか思考を張り巡らせるきっかけになります。

19卒「撃鉄の子守唄」

怒涛の2部構成、23期先輩方の集大成。スタッフワークから役の演じ方まで、隅々まで張り巡らされていて圧倒された覚えがあります。毎回卒公で感じる事だけど、4年間しのぎを削ってきた先輩方の全ては本当に凄まじい。

19新発「月並みなはなし」

現3回生主体だった公演。あまり関わる機会は無かったけれど、完成した姿を見て如何に苦節したかが肌に伝わってくるようで。凄いと感心したと同時に、負けられないと感じた記憶。

そして約1年、コロナの影響で公演がほぼオンライン・中止になります。密かに見据えていた20秋公無くなっちゃったね。悔しいや。

20卒「あやかし」

24期先輩方の集大成。創作、散りばめられた演出に作者の経験が全て詰め込まれているなあと個人的に1番感じた舞台でした。多く時を過ごした先輩方の卒業、来年最上回生になる不安、公演で掴み取るべき技術。振り返ればこの時が、1番色んな事を考えに考え抜いた期間だったのかなと思います。

20新歓「インソムニア」

現3回生主体の公演。歩みは歪み、抑圧と欲望に歪みまくる世界観めちゃくちゃ大好きかつ創作と聞いて「完成度高っ」と思いながら観てた記憶。この時も就活とかであんまり関われてなかったね

21秋「傀-KAI-」

1個前の公演。思いの交錯、伝わる熱量。久方ぶりに対面公演を味わって、「やっぱりいいなあ」と思うと同時に「絶対負けられない」って気持ちが凄く強かった。それだけ綺麗で、ひたむきで鮮烈な作品だったと感じさせられた公演。

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21卒「鬼武者」

演出を担う人なら誰しも志す事でしょう。「過去1面白い舞台にする」と。

死んでも見返すと決めて約3年。観察し、世界観を練り、技術を盗み、培った感性と思考の全てを尽くして何度も何度も想像し、過去公演で盗んだもの全部血肉にしました。

凄まじいものを作り、過去を超える為。

演出に人一倍不向きだからこそ。観てきた全てに、絶対に負けたくなかった。

「卒業公演」の花道、「最上回生」の肩書き。

言い方が悪くなってしまうけれど、この公演が仮にどんな物だとしても、先輩方・後輩の皆は笑顔で私達を送り出して下さるのでしょう。

私が、25期が本気で挑むのだから絶対妥協させない。最高の結果を叩き出して卒団する。

その一心で今日まで駆け上がってきました。名実恥じぬものに仕上がったと思います。

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約4年。私を全否定されなければ万絵巻にいなかっただろうし、同期に言われなければ自分を変えようとすらしなかった。挫折を味わなければ2度も演出しなかっただろうし、周りを見返したいなんて考えもしなかったでしょう。改めて振り返っても不思議な縁だなと思います。

長々連ねておいて書くのもあれですが

私は本音や弱音を晒すのが死ぬほど苦手です。

理由は単純、1番無防備だから。

ありのままの私が私にとって1番みっともなくて、許せなくて、惨め。嫌いな自分を他人に見せるなぞ情けない以外の何者でも無く。

だから約4年かけて少しでも胸を張れる自分を作り続けてきた。ある側面では”嘘”なのかも知れません。まだまだ発展途上だし、脳死やら何やらでやらかす時もありますが。

万絵巻の、大勢の目に触れる形で晒すのはきっとこれが最初で最後でしょう。冒頭に記した通り”遺作”です。

万絵巻で関わってきた全ての人達に感謝を。25期をここまで連れてきてくれてありがとう。